バンクーバー&ビクトリアで花追いの旅 2006/4/26〜5/3   【Travel Diary】   【Home】

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旅の日記


【準  備】

【 1日目】

【 2日目】

【 3日目】

旅の準備

ブッチャートガーデン・チャイナタウン・ インナーハーバー
ビーコンヒル公園
アンティーク街・クレイダーロック城・ ガバメントハウス
州議事堂
グラウスマウンテン・キャピラノ渓谷・ サケ養殖場
チャイナタウン・ グランビルアイランド
【 4日目】

【 5日目】

【 6日目】

【 7日目】

クイーンエリザベス公園・バンデューセン植物園・ UBC
ヘリティジビル
スティーブストン・スタンレー公園・ ウォーターフロント
メトロタウン
リンキャニオン公園・ ロンズデールキーパブリックマーケット・ ガスタウン・ロブソン通り
帰国

2006年4月30日日曜日
〜スティーブストンで三尾村(和歌山)を訪ねる〜

もちろん今日も手作りブレックファースト! 美味しいなぁ。
8時15分にホテルを出て、スカイトレインで22ストリート駅へ行く。 ここから#410のバスで終点のスティーブストンに向かうのだ。
バスでたっぷり1時間かかるが、DAY PASS(8ドル)の範囲内。ホントに交通費は安いなぁ。

22ストリート駅では、びっくり!長蛇の列だ。みんなどこ行くの? 日曜だもんなぁ。なんとか座れてよかった。
9時半、終点のスティーブストンに到着。運転手に港の場所を聞く。バスを降りて徒歩3分ほどだ。

スティーブストンはフィッシャーマンズワーフで有名な鄙びた漁村である。現在はリゾート化が進み、高級コンドミニアムが立ち並んでいる。
週末には港に停泊しているボートで獲れたての魚を販売している。
そして、ここは100年以上の昔は、日本人村だった。和歌山県三尾村の人々がサケ漁をし、缶詰工場で働いていた。
その歴史の痕跡を探す旅・・・。

さすが漁村! 海は汚くてちょっとどぶの臭い・・・!しかし観光客らしき人は多い。
ここは、ホェールウォッチングの出発地でもあるのだ。観光ボートらしき船もある。
今日は日曜日。港では魚を販売するボートが6〜7艘あった。1艘のボートが賑わっている。覗いてみるとピチピチのひらめを販売している。
客も店主(漁師?)も中国人だ。中国語が飛び交う。
もう1艘の賑わっているボート。これはっ、甘えびだ〜!! 10ドルでスーパーの袋いっぱいだよ〜。安いっ! 欲しいが腐る・・・。泣く泣くあきらめる・・・。
販売している人たちに日本人はいなかった。お客もほとんどが中国人だ。

しかし、どこに行けばいいのか???
ジョギングを楽しんでいる人々がいる。地元の人だろう。休憩中の女性に尋ねる。

「スミマセン、コノヘンニ ハクブツカンハ ナイデスカ?」
「アナタハ ニホンジン ナノ?」
「ハイ、ニホンジン デス。」

博物館を訪ねたねえさんに、国籍を確認する彼女。何か思うところがあったのだろう。

「ワタシハ サンセイ ナノ。 ココガ イミンノマチッテ シッテルノ?」
「ハイ。ダカラ ココニ キタノデス。」

こうして彼女からいろいろと説明を受けることになる。しかし移民の話、旅行英会話程度の英語力ではついていけない。
なんとか、
「缶詰工場が博物館になっていて、当時の写真を展示していること。」
「村の中にも小さな小さな博物館があること。」
「移民100周年記念で和歌山県人会が造った日本庭園があること。」
「記念碑があること。」
「村上さんの家が保存されていること。」

これだけはわかり、場所もわかった。

三世である彼女、ねえさんよりもかなり年上だ。もちろん日本語も喋れないし、日本人には見えない。 歴史の移り変わりを感じる瞬間だ。


〜スティーブストンで三尾村(和歌山)を探す〜

彼女と別れ、まずは缶詰工場を目指す。港から3分ほどだ。しかしあいにく休館であった。
この近くには観光案内所もあったが無人で機能していない。
そのまま歩くとビーチにでる。ここに和歌山県人会が造った日本庭園「工野庭園」がある。
スティーブストンに初めて来た三尾村の工野儀兵衛氏の名前がつけられた小さな日本庭園だ。「和歌山県人渡加百周年記念碑」の日本語が読める。

その近く、海を見下ろす場所に「記念碑」が建てられている。花々が供えられているのは慰霊碑なのだろう。
しばらくベンチに座り、海を見つめる。静かな時が流れる・・・。

そのビーチにはフィッシュ&チップスのお店「pajo's」がある。11時オープンだ。
オープンと同時に注文する。やっぱり、港町ではフィッシュ&チップス食べなきゃね。
魚は3種類の中から選ぶ。えっ〜と、わかるのはサーモンだけ。しかし意味不明なトッドにしよう。
決して、トッドが一番安かったからではないっ!
サイズはいろいろ選べる。一番小さいチャイルドサイズにしてみたが十分な量だ。確か、4ドルちょっと。5ドル近かったかな?
カラッとあがり、とっても美味しい。食べながらビーチを後にする。トッド? たらかな???

郵便局兼博物館次は村の博物館だ。スティーブストンは小さな村。すべて徒歩で回れるし、ねえさんでも迷わない!?
しかし、郵便局と兼ねているその博物館も休館だ。残念。。。

え〜っと、次は村上さんの家だな。村上さんって誰だろう?


〜村上さんの家〜

日本人の漁師像海沿いの道を歩き、村上さんの家を目指す。
村上さんの家までの道は遊歩道になっている。右手は海、左手には高級コンドミニアムが立ち並ぶ。
多くの人々が散歩をしている。

村上さんの家に着いて、びっくり!! 家だけではない。ここは昔の造船所や工場を保存している。
レプリカ? 本物?  だって、戦争で日本のものは破壊されたハズ・・・。わからん・・・。
道を尋ねた三世の女性は、確か子供たちが家をきれいにしたとか????

トタン屋根の工場跡や家屋が日本を思い出す。村上さんは、造船所を造った人のようだが、英語読み書きアレルギーのねえさんに説明文は頭に入らない!
村上さんって誰だろう? 日本に帰ってから調べよう・・・。
村上さんが暮らしていたという家は、古いミシンやアイロン、オーブンが展示されていて興味深い。
食器や、飾り棚には和のもの、洋のものが入り混じっている。見学をしている人も多い。 結局、ムラカミ オトキチさんは、今だ誰だかわからないまま・・・。

さて、村を散策しよう。ここは魚村なのだが、日本の漁村とは大違い。
おしゃれなアンティークショップや、ガーデニングショップがある。このショップを見るのもこの村の楽しみ。
古い、趣味のよいアンティークが結構多い。隠れた穴場だな。お店をウロウロしているともう1時だ。
バンクーバーに戻らねば・・・。友達と待ち合わせの時間に遅れる。

1時10分発のバスがある。それに乗ろう。
博物館もすべて休館。何もわからないままだ。だが、また訪れればそれでいい・・・。
バスに乗り、車窓から過ぎ行く村を見つめる。100年ほど前、ここには多くの三尾村の人々がいた。
移り行く歴史に想いを馳せ、溢れそうになる涙をこらえる。

豊かな者が流す涙ほど空々しいものはないのだから・・・。


〜スタンレー公園でアフタヌーンティとメトロタウン〜

イングリッシュベイさて、イギリスのよい?習慣「アフタヌーンティ」を楽しめるのもカナダの魅力!
スタンレーパーク近くの「フィッシュ・ハウス」でアフタヌーンティをすることにしよう!

ダウンタウンのウォーターフロントからバス#6の終点で降り、10分ほど歩けばいい。
バンクーバーに住んでいる友達と久しぶりにここで再会する!

ちょっとアフタヌーンティは一人じゃ行きにくいので・・・。

3時半、無事に再会し、レストラン店内へ。店内は食事をする人、アフタヌーンティを楽しむ人でいっぱいだ。
店員の対応がよく、感じの良い店だ。アフタヌーンティ(24ドル)をシェアすることにする。
あっ、もちろんお茶は別に頼んだけどね・・・。
思ってたより、すべて小ぶりのケーキや、サンドイッチにスコーン! しかしすべて美味しい。
うん、半分ずつでちょうど良い!

ウォーターフロント食後、一緒にスタンレー公園から、ウォーターフロント沿いを散歩する。みんなゆっくりと散歩をしたり、サイクリングをしたり・・・。
こんな休日の楽しみ方はいいね〜。

海がきれいで、ノースバンクーバーも見渡せる。
十分におしゃべりも楽しみ、ウォーターフロント駅でお別れ。
あわただしい再開であったが楽しかった。

スカイトレインに乗り、メトロタウンへ。ここはバンクーバー最大(たぶん)のショッピングセンターだ。
少し郊外だが、メトロタウン駅と直結しているので行きやすい。
とっても大きく、いい物がいっぱいなのだが、ウロウロしていると各店舗のシャッターが閉まりだす!
日曜は6時までなのだ〜。あぁ・・何も買えず・・・。
スーパーのみ遅くまで営業している。このスーパー、かなり安いっ! メープルシロップにスモークサーモン・・・
ちょっとおみやげを買い漁り・・・。大荷物っていうか、メープルシロップ重いっ!

メトロタウンには、バスターミナルもある。ホテルの目の前を通るバスもある。
バスに乗り込み、無事ホテルには8時到着。
もちろん、ディナーは手作り。今日も焼くだけ簡単料理〜! あぁ、充実した一日だったなぁ・・・。


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スティーブストンと三尾村
和歌山県日高郡美浜町三尾村は、「アメリカ村」と呼ばれている。

1888年(明治21年)、三尾村の工野儀兵衛氏が海を越えた。到着した地はカナダ、バンクーバー郊外の港町スティーブストンである。
彼はその地を流れるフレイザー川で鮭の大群を見る。ここでサケ漁ができる。「フレザー河にサケが湧く」と故郷に伝えたのが移民の始まりである。
目の前は海、背後には険しい山、耕す土地の乏しい三尾村。古い漁法に頼るのみの貧しい村民たちは、生きるため遥か太平洋を越えたのであろう。
一時は2千人を超え、第二の三尾村が作られたスティーブストンも、戦争により、日本人はすべての財産を奪われその地を追われる。 戦後、スティーブストンには多くの人が戻った。しかし、かつて日本人村として栄えた面影はない。

こうして、三尾村にはカナダの文化がもたらされた。帰国した人々は洋風の家を建て、洋風の暮らしを好んだ。
三尾村はいつしか「アメリカ村」と呼ばれるようになった。

*内容等に誤りがありましたらご指摘頂ければ幸いです。


工野庭園のあるビーチ

村上ボートハウス

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