カナダ番外編・三尾村でスティーブストンを訪ねる「アメリカ村」の旅 2006/6/10   【Travel Diary】   【Home】

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旅の準備

和歌山県日高郡美浜町三尾村は、「アメリカ村」と呼ばれている。

1888年(明治21年)、三尾村の工野儀兵衛氏が海を越えた。到着した地はカナダ、バンクーバー郊外の漁村スティーブストンである。 彼はその地を流れるフレイザー川で鮭の大群を見る。ここでサケ漁ができる。「フレザー河にサケが湧く」と故郷に伝えたのが移民の始まりである。
目の前は海、背後には険しい山、耕す土地の乏しい三尾村。古い漁法に頼るのみの貧しい村民たちは、生きるため遥か太平洋を越えたのであろう。 一時は2千人を超え、第二の三尾村が作られたスティーブストンも、戦争により、日本人はすべての財産を奪われその地を追われる。 戦後、スティーブストンには多くの人が戻った。しかし、かつて日本人村として栄えた面影はない。

こうして、三尾村にはカナダの文化がもたらされた。帰国した人々は洋風の家を建て、洋風の暮らしを好んだ。
和歌山県日高郡美浜町三尾村は「アメリカ村」と呼ばれるようになった。

(*内容等に誤りがありましたらご指摘頂ければ幸いです。)

   
2006年4月のスティーブストン。鄙びた漁村であったが、リゾート化が進み、高級コンドミニアム(写真右端)が立ち並んでいる。

GWのバンクーバー&ビクトリアで花追いの旅。その旅で訪ねたバンクーバー郊外のスティーブストン
かつては日本人移民の村だった。 その移民のほとんどが、和歌山県の三尾村の村民たち。三尾に行きたい!

紀伊半島最西端に位置する標高約200メートルの「日の岬パーク」。ここにカナダ資料館(アメリカ村資料館)がある。
実際、アメリカではなく「カナダ村」と呼ぶべきである。何故、アメリカなのか?

1.当時、カナダは正式な独立国ではなかった。
2.ごく少人数であるが、アメリカに移民した人もいた。
3.アメリカ大陸という意味。

調べるとこんな理由を発見。でも、日本人にとっての外国は今も昔もアメリカなんだろうなぁ。
最近はヨンさまの国って人も多いかなぁ? あっ、ビョンさま? サンさまも書いとかなきゃね!? えっ〜とジウ姫忘れちゃ、じじいに怒られる(笑)!

この「日の岬パーク」には、デンマーク人のヨハネス・クヌッセン氏の胸像もある。デンマークとの関係もある村のようだ。
1957年(昭和32年)、日ノ御崎沖合いで火災をおこした徳島県の船の乗組員の救助にあたり、命を落としたクヌッセン機関長。
彼の死を悼み建立された胸像。

三尾にちょっと行ってきま〜す。

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旅の日記

日の岬パークへ〜

高速道路をすっ飛ばし、目指すは紀伊半島最西端「日の岬パーク」。快調なドライブだ。
「日の岬パーク」はくねくねとした山道をあがる。標高200メートルかぁ。
到着した日の岬パークはちょっとさびれた公園。キャンプ場やバンガロー、そして国民宿舎もあるが、真夏がシーズンなのだろう。
カラオケボックスに、子供向けの乗り物、ニワトリの声がうるさい小さな動物園・・・。そして食堂も完備されている。
しかし、人はまばらだ。ひゅぅ〜。(←閑散とした音。)

まず、クヌッセン氏の胸像がある場所から海を眺める。今日は少し曇り空だ。
火災をおこした日本の船の乗組員を救助するために、この海の沖合いで亡くなったデンマーク人、クヌッセン機関長。
彼の勇気に敬意を・・・。

食堂がある建物のテッペンに大きく「カナダ資料館」と書いている。さぁ、行こう!
あれっ? でも「アメリカ村資料館」じゃないのかな??? 
建物を入り、左が食堂、右が資料館。

資料館のドアには、郵便ポストのようなものがある。「ここにお金を入れてください。」ははは、無人販売だ〜。
もちろん正直なねえさんは、大人料金100円をチャリンと入れてドアをあける。(子供は50円だよ〜。)
あれっ、ねえさんは子供だったのに、100円入れちゃったよぉ〜。

そうそう、この資料館、「カナダ資料館」と「アメリカ村資料館」の表記が混在している。
察するに、昔は「アメリカ村資料館」と命名したが、最近(?)、「カナダ資料館」に変更したんだろう!
実際、三尾の村民はカナダ・スティーブストンに移民したんだから・・・。ほんとにもう、日本人は外国って言うとアメリカって思うんだから???


〜カナダ資料館(アメリカ村資料館)〜

   

小さな資料館の中には、移民当時の生活用品や写真が展示されている。
今では珍しくもない洋服やトランク。当時スティーブストンから帰国した人々が洋服を着ているのを見て、周囲の村の人々が「アメリカ村」と呼んだのも頷ける。

サケ漁で活気のあるスティーブストンの写真。戦争により強制収容所へ送られる写真。そして現在へと展示物は続く。

「背いっぱいの日の丸のシャツを着せられて 有頂天なりしが 射殺の目印」(中野武雄氏・オンタリオ州アングラーで)
日の丸の収容服に最初はみんな喜んだが、実は脱走した場合の射殺の標的だった。

「私たち日本人は、学校へ行く前に、よく顔や手を洗うこと。漬物など食べすぎると息が臭いと白人に嫌われます。学校では先生の言うことを良く聞いて、白人の子供より良い点をとれば、白人の先生にも、生徒にも好かれます。(ある小学校6年生の作文)

入り口横にはテレビが設置されている。ビデオでもあるのかな?
誰もいないが、こんな時躊躇はしないねえさん。勝手にテレビを点け、機械をいじくる。
カナダ移民の歴史が簡単にまとめられているドキュメンタリーが始まった。
スティーブストンの現在の街並みは、「あっ、ここ行ったなぁ。」と思いながら、感慨深いビデオだった。

これほどじっくり見た資料館は生涯初めて・・・。
現在、日本すべてが「アメリカ村」になってしまったので、この三尾は目立たなくなった・・・みたいな言葉が印象に残る。


〜アメリカ村〜

日の岬パークを降り、アメリカ村を散策だ。
アメリカ村のバス停のすぐ近くに、移民の先人・工野儀兵衛氏の碑がある。
ちょっとこの辺に車を置き、地元の人に道を尋ねながら、「龍王神社」を目指す。

ここに、弗で書かれた寄進札があるらしい。弗とはドル($)のこと。神社でよく「○○町 ねえさん 100万円」とか寄付の金額を書いた札が貼ってるよね。
それが円ではなくドルで書かれてるそうなのだ。 寄進札だっけ?
しかし、残念なことにドルは発見できず。寄付をした日付を見るとすべて新しい。昔のはもう奥に隠してるんだな。
でも、やはりここは「アメリカ村」である。札の住所を見ると、リッチモンド市とか、バンクーバー市とか・・・カナダの地名が並んでいる。

   

さて、この三尾の集落はなんと純和風の建物ばかりである!?
道は狭く、2人並んで歩けないほどの幅だ。こ、こ、こんな純和風の集落に来たのは、いくら田舎もんのねえさんでも始めてだ。
アメリカ村はいずこ〜? 

とりあえず、車にもどりちょっと移動。工野儀兵衛氏のご実家もあるようだ。
幸い氏の家も見ることができたのだが、純和風である。

道行くおばあさんに尋ねてみる。

「この辺はアメリカ村って呼ばれてるんですか。」
「そうよのぉ。呼ばれてるのぉ。」
「洋館はないんですか。」
「和風の家ばっかりよのぉ。昔は何軒かあったかのぉ。」
「空き家、多いですけど・・・。」
「みんなぁ、カナダで住んでるんよぉ。」

目の前は海、背後には山、耕す土地のない三尾の地形。家々は斜面に立ち並んでいる。カナダに活路を求めたのも肯ける。
こうして現在の「アメリカ村」の散策は終わった。日本らしい純和風の佇まいあふれる三尾村であった。

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旅のごはん

☆メリケンハウス☆  和歌山県美浜町三尾105

アメリカ村の入り口にあるペンション。カフェを併設。
写真のシフォンケーキ(400円)は手作りアイスクリームと一緒にいただく。
ここはハーブティがオススメ。今まで飲んでいたハーブティの常識がくつがえります!!

かわいらしい建物です。これこそ「アメリカ村」ですね(~_~;)

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